2015-03-25 第189回国会 衆議院 総務委員会 第10号
NHKの前身の東京放送局の初代の総裁は、岩手・水沢、今は平成合併しましたので奥州市でありますが、その出身の後藤新平でありまして、放送開始の抱負を述べたわけであります。そしてまた、この放送開始三月は、ちょうど関東大震災の一年半後のことでありました。 ラジオは、発災直後に大きな役割を本当に果たしました。
NHKの前身の東京放送局の初代の総裁は、岩手・水沢、今は平成合併しましたので奥州市でありますが、その出身の後藤新平でありまして、放送開始の抱負を述べたわけであります。そしてまた、この放送開始三月は、ちょうど関東大震災の一年半後のことでありました。 ラジオは、発災直後に大きな役割を本当に果たしました。
○川口参考人 大正十四年の三月二十二日に芝浦の仮放送所で第一声を上げた、そして後は、社団法人の東京放送局と、それから続いて大阪放送局というのができましてラジオの放送を続けた、それから、昭和二十五年になって新しい放送法の中で新NHKが誕生したというふうに存じております。
今回、NHKという組織の会長を引き受けるに当たりまして、過去においてはどんな人が会長であったかということをちょっと調べてまいりましたら、NHKの前身でありまする東京放送局というのが今の愛宕山の曲垣平九郎のところにあったのですが、そのときの、会長ではなくて総裁でございましたが、その方は有名な後藤新平という方であったことがわかりました。
それから、群馬県に中継局を設置することになっておりますが、これの方も六十年四月からの東京放送局と同時に授業放送を開始するという予定でございますが、これにつきましては、現在予備免許の申請が提出されておりまして、現在審査中でございます。
第五〇〇軍事情報団、それから在日保安通信隊、科学及び技術情報団、それからFEN東京放送局、それから大和田通信隊と六つあるのです。これは質問通告したでしょう、私は名前を出してちゃんと。これは在日米軍指揮下にない部隊です。指揮系統が全部違うのです。指揮系統は、ペンタゴン、またハワイの統合司令部、これが直轄しているわけですよ。
昔の社団法人時代のNHKは、全国八地区を本部と支部に分けて、いまお説のような運営をとったこともございますが、関東甲信越地区にもう一つの東京放送局をつくるということは、人数においても組織においてもかなり重複する面が出てくるという意味で、まだ踏み切ってはいないわけでございます。
ユニテル社の機関誌テレ・テツクの一九五二年二月号五十七頁を見ますと、この正力氏の計画し政府へ申請したテレビの東京放送局(NTV)は、ユニテル社が企画しているグロバール・マイクロウエーブ・システムのアジアの第一ステーシヨンであることか明記してあります。
又松山放送局の第一放送は七百キロサイクルで、東京放送局の第二放送の六百九十キロサイクルと混信すも一千百六十キロサイクルであるが、これがVOA沖縄の一千百八十キロサイクルと混信する。このように四国における電波は混信が非常に多い。
御承知のごとく、わが国の放送事業は、大正十三年逓信大臣の認可のもとに設立されました社団法人東京放送局によつて開始され、引続き名古屋及び大阪にも放送局が設立されたのでありますが、大正十五年に至つて、これら三放送局が統合されて現在の社団法人日本放送協会が段立されまして以降は、まつたくその独占経営のもとに今日に至つておるのであります。
ただ、今より二十五年の昔、東京放送局が初めてできた時分に、その創立に責任者として参與いたしまして、さらに日本放送協会の常務理事として、何年かこの放送事業に関係した因縁を持つているだだけであります。従いまして今日は団体を代表する意味でもなく、また別に評論をするような気持でもなく、国民の最も関心を有する放送法案についての所見を述べるべく、出席した次第であります。
ただ私が考えております意見を、昨年の七月に東京放送局に投書いたしまして、發表になつたものがございます。それは、今日のインフレになるのを豫期いたしまして、新圓不當利得者の税制を確立すること、そうしてその實施の方法を明示したのであります。それは昨年七月の十一日か二日でございます。
越えて大正十三年の十一月には社團法人の東京放送局というものが設立せられまして、翌大正十四年の一月には社團法人名古屋放送局が設立せられました。同年二月には大阪放送局が設立せられたのであります。一四年の三月には東京放送局試驗及び假放送が開始せられたのであります。わが國で獨自に放送を開始したとい言うのは、これが最初でございます。